俺は死んだ。
泣きっ面に蜂というには優しすぎる状況で。
なにせ蜂に刺されたくらいの被害ではないのだから。
妻に裏切られ、居眠り運転のトラックに激突され、圧死。
まだ30歳だった。
人生これからだった。
これまでは下積み時代のようなもので楽しさよりも努力を重ね、ようやくこれから家庭を築き、子育てをしたり、旅行に行ったり、家庭菜園をしたり、ペットを飼ったり、ゴルフやテニスに挑戦してみたり、とにかくやりたいことはいっぱいあったのだ。
これから楽しめそうだったのだ。
人生を楽しむ準備だけで人生が終わってしまった。
幸いなのは苦痛が一瞬だったことだろう。
しかし一瞬とはいえおぞましい苦痛だった。
どれだけの人が自分の死に方が圧死になるだろうなんて想像するだろうか。
怖い死に方のトップ5には入るんじゃないだろうか。
今でも思い出すと未だに動悸や冷や汗がでて精神的に不安定になる。
ん?
今でも?思い出すと?
何を思い出す??
どく..どくッ..dokudoku….
くそッ..ほらまたやってきた。
動悸だ。
呼吸が苦しぃッ…
ハァハァと過呼吸になり苦しんでいると、それを見つけた女の人が駆け寄りいつものように抱きしめてくれる。
名前はアンナだったか。
いつもメイドっぽい服を着ている。
ずっと俺を支えてくれている、優しい女性だ。
ほのかに香る石鹸と花のような匂いが安らぎを与えてくれる。
背中をさすられ安心して身を任せていると次第に動悸や呼吸は落ち着いてくる。
「シャルル様、少しお休みになりましょうか」
と優しい笑顔で語りかけてくる。
慣れた様子で抱えられながらベッドまで運ばれると、自然と眠くなってくる。
意識ははっきりしない。
頭がぼーっとしていて思考がまとまらない。
考えなきゃいけないことがあるはずなのに、考えると苦しくなってしまう。
自分が自分じゃないみたいだ。
自分だけじゃない。
全ての何かが違う。
しかし何が違うのかはまだ分からない。
でもそれは嫌な感じがするものではない、となんとなくではあるが確かに感じる。
涼しさなような温かさような、そよかぜの心地良さのような、木漏れ日の眩さのような。
そんなキラキラとしたおとぎ話の中のような世界で、俺の意識は遠のいていく。
状況が掴めてきたのは5歳くらいになってからだ。
どうやら俺は、いや僕は生まれ変わったらしい。
いわゆる転生だ。
しかも異世界転生だ。
僕の名前はシャルル・フォンテーヌというらしい。
そしてなんとこのフォンテーヌ王国の第一王子なのだ。
転生したことは嬉しかった。
なにせ前世の記憶を持ち合わせているからだ。
見た目は子供、頭脳は大人。
「その名は..」とつい言いたくなってしまうような、男なら誰しもが憧れる展開だ。
きっとこの記憶は役にたつだろう。
前世では思い残したことが多すぎた。
これから幸せを築くぞって時にどん底まで突き落とされて、その挙句事故死した。
不幸は重なるものである。
心に刻もう。
しかしながらこの王子設定には全くもって納得いっていない。
最上級の転生のような気もするが、なにせ僕には自由がないのだ。
常に誰かが近くにいて、単独の行動は許されていない。
それに王子ということはいずれ王にならないといけないし、大変な、それはもう大変な責任が付き纏うのだ。
これ、まだ不幸が重なり続けているんじゃなかろうか。
何かが起こって、その責任をとって処刑とかならないよね?ならないよね!?
嫌な不安を頭によぎらせているとアンナがやってきた。
「シャルル様、本日は調子はいかがですか?」
「あぁ、アンナ、ありがとう。調子はとても良いよ」
「最近は発作を起こすこともほとんどなくなりましたね」
「うん、そうだね。アンナのおかげだよ」
「え?あ、いえ!私なんて何もできておりません。おそらくお薬の効果がでてきたのでしょう。シャルル様が元気になられてきて、国王様をはじめ本当に多くの人が安心されています。本当によかったです!」
「うん、心配をかけたね。でも、ありがとう。」
つい最近、物心がつくまでは現実と前世の記憶が入り混じり、頻繁にパニック発作を起こしていた。
今でこそ記憶が整理できるようになっていたが、それまでは2人の人格があるような感じで、脳が未熟だったためか不安定な期間が長く続いた。
すっかり僕は病弱なイメージを持たれた王子様になっていた。
今はほぼ完全に現実の世界と、前世までの記憶を分けることができるようになった。
国中から祝福を受けて第一王子として生まれたのはよかったのだが、頻繁に発作を起こすなど体調が不安定なことから、ここまでは非常に過保護に育てられた。
そのため5歳の子供にしては肌が白く、華奢な体つきだ。
外で遊ぶことも少なく、パニックも頻回なため寝てばかりいた。
それに食事もあまり美味しくなかった。
パンは硬いし、パサパサ。
スープも味気ないもので、正直食欲がすすまなかっただけなのだが、病弱で胃腸も弱いと思われていた。
はぁ..前世の食事が懐かしい。
コンビニスイーツ食べたい(泣)
6歳になった。
体調も安定してきたことで、色んなことが許されるようになってきた。
「アンナ、散歩に行きたいのだけどダメかな?」
「調子が良いのであれば、それも良いかもしれませんね。少し体を動かしに行きましょうか」
そう言うと準備のため一旦部屋から退室した。
アンナは僕より9歳年上だ。
侍女長の娘で僕の専属の侍女に指名されている。
アンナには全くもって不満はないが、生まれながらにして侍女になることが決まっているというのもどうなのだろう。
この世界の文化でいうと、普通のことなのかもしれないが、僕の従者にならなきゃいけないのが嫌じゃないといいんだけどなぁ。
まだ14歳という年齢にも関わらず、アンナからは強い責任感を感じる。
年齢的にはまだまだ見習いレベルなんだろうけど..
まだ何にも染まっていないうちから王族に仕えるようにして、忠信心を埋めこむんだろうなぁ。
「シャルル様、準備が整いました。」
「うん、ありがとう。じゃぁ行こうか」
散歩といっても街を歩くわけではない。
僕は王子なのでそんなに自由はないのだ。
いつも散歩は城の塀の中だ。
せっかくの異世界なのに悲しいなぁ。
いつかは自由に世界を見て回ってみたいと思う。
自由はないとはいっても王城の敷地はそれなりの広さなので、一周しようとするとかなりの運動量になる。
敷地は東京ドーム2個分くらいかな?
歩いていると、少し騒がしい声が聞こえてきた。
それは騎士の訓練所からだった。
「アンナ、ちょっと見学してみようよ」
訓練所の入口から中を覗くと、屈強な男達が訓練刀を打ち合いながら立ち会いの訓練をしていた。
ガキィン!!ザキィン!!と凄まじい剣音が響いてくる。
重そうな剣を軽々と使っている。
しかし驚くべきは初歩のスピードだ。
一瞬で間合いを詰め相手に重い一撃を与える。
前世の大人の僕でもあれを食らったら、とてもじゃないけど受けることすらできずに真っ二つにされてしまう可能性すらある。
それくらい凄まじい一撃なのだ。
迫力満点の稽古をヒリヒリしながら見学していると、とある違和感を覚える。
その戦い方には何か違和感がある。
前世でも格闘や剣道などの試合は見たことがあるが、この騎士たちの戦い方は..変わっているというか、少し偏っている。
ヒット&アウェイもしくは一撃必殺のような戦い方一辺倒なのだ。
そういう特別な訓練なのか??
連撃や追撃はなぜしないんだろう。
「これはこれは、シャルル様。どうされましたかな?」
近づいてきたのは騎士団長のフェルナンドだ。
騎士の中でも更に背が高く、見るからに筋肉質だが引き締まっていて身のこなしも軽そうだ。
この人が王国の最強の人である。
そして僕の剣術指南の担当者でもあるはず…なのだが体調の不安定さからまだ稽古をつけてもらったことはない。
「ついにシャルル様も武術に興味が湧いてきましたかな?」
「はい、凄まじい剣音にビックリしました」
「はははっ。これらの者はこの国選りすぐりの強者共ですからな。驚かれるのも無理はありません」
「しかし剣術に興味をお持ちだとは思いませんでした。これはシャルル様に剣の手解きをするのが楽しみになってきましたな」
「え?剣を教えてくれるの?やりたいやりたい!」
そこにすかさずアンナが割って入る。
「シャルル様!最近少し調子が良いからといって、いきなり激しい運動をするのはお体にさわります。剣術のお稽古は少しずつ体力をつけて、お医者様から許可が出てからになります」
僕、元医者なんだけどなぁ、もう大丈夫なんだけどなぁ、なんて思いながら。
「ちぇ…わかったよアンナ。でもフェルナンド、剣を教えてもらうのは約束だからね!」
「シャルル様、心得ました。その時を心待ちにしております。」
「でもフェルナンド。先ほどの訓練を見ていて少し気になることがありました。迫力はすごいし速さも強さも感じられるのですが..なんかこう一辺倒な動きで芸がないようにも見えたのですが、何か理由があるのでしょうか?」
「さすがはシャルル様、良いところに気づきましたな。これらの者たちは魔法が使えるのです」
魔法、か…