ソフィアは心底ほっとしていた。
意識不明だった最愛の弟が元気になったからだ。
ここ最近は調子を崩すこともなく順調に経過していたし、これまでの不調は精神的な要因が大きかった。
そんな精神面の不安定性も成長とともに改善されたとそう思っていた。
しかしまた調子を崩してしまったのだ。
いや今回は更に深刻だった。
7日間も目を覚まさず、その理由もはっきりしなかったのだから。
弟シャルルは体が弱い子だった。
いや、小さい頃はそうでもなかった。
明らかに調子を崩しはじめたのは2歳くらいからだったであろうか。
よくパニックを起こし、泣き、過呼吸となった。
言葉の理解も遅かったし、時折よく分からない変な言葉のようなものを喋っていた。
次に王になるのはこの子だと聞かされていたがとても務まるようには思えなかった。
そんな弟をとても不憫に思った。
弟には多くの試練が訪れるであろう。
そして自身への影響も考えられた。
もしかすると弟はまったく役にたたず、王には不適格ということで、自分がフォンテーヌ王国初の女王にならなければいけないのではないか、そんな可能性も考えられた。
その可能性はソフィアの不安を大きくさせた。
ようやく弟が生まれ、女王になる可能性がなくなったと、そう思い安心していたからだ。
この国は男尊女卑の傾向が強い。
力のない女になにができるのか、国民や貴族はそんな目で私のことを値踏みし、王としての素質を見てくるだろう。
女というだけで王になるというハードルはかなり高いのだ。
自分は馬鹿ではない。
むしろこの年齢にしてはかなり優秀な方だろう。
幼いながらにある程度のことを客観的に見れているつもりであった。
しかし体力に関しては女性の中でも良く言って並。
男性と比較すれば能力値は低いと言わざるを得ない。
それが故に自分の将来への不安は常につきまとい、シャルルに負けず劣らず精神的な不安定さを抱えていた。
弟シャルルは3歳になり、親元を離れ侍女に育児を委ねられると症状は更に悪化した。
恐れていた事態だった。
いよいよシャルルはあてにならないと思った。
貴族たちもシャルルには期待できないとそう判断し始めている。
このままでは自分が女王になる動きが加速してしまう。
避けて通れるなら通りたいが、努力を怠った状態で自分が王になどなってしまったら、それこそ目も当てられない状況になる。
この国はつい最近まで戦争をしていたし、その影響は今も残っており決して豊かとは言えない状況だ。
戦争で負ければ王は責任をとらなければいけない。
それは王族も同様であろうが、責任の所在は桁違いだ。
自分は王の道を歩むしかないのか、普通の町娘のように普通に育ってそこそこの良縁で夫と結ばれるような人生は送れないのか、そんな葛藤が優秀ながらも幼いソフィアの精神を蝕んでいた。
そんなソフィアにできることは祈ることだけだった。
シャルルが元気になるように、王としての才を発揮できるように成長するようにと。
ソフィアは頻繁にシャルルの元に通うようになった。
ソフィアはまだ魔法を使うことはできない。
しかし本で読んだのだ。
魔法の始まりは病が治るよう願いを込めたことから始まったのだと。
邪な思いで奇跡をおこそうなど、なんて浅はかな思いなのだろうと自己嫌悪にもなった。
でもとにかく祈った。
自分は多少優秀だとは分かっていたが、だからこそ王という器ではないことも自覚できた。
臆病で、寂しがり屋で、少し小利口なだけの小娘。
突出したことは何もない。
病弱な弟に元気になってもらって、責任を押し付けたいだけの身勝手な姉なのだ。
もしかしたらこれは罰なのかもしれない。
浅ましい考えしか思い浮かばず、他人に自分がしたくないことを押し付ける自己中心的な私という人間に対する罰。
きっとそんな自分の未来にはそれ相応の結末が用意されているのだろうと、どんどん悲観的になっていった。
もはや何も考えられず、祈ることだけしかできなくなっていた。
しかしとある時、いつものようにシャルルの手を握りながら祈っていると、シャルルが手を握り返してきた。
「姉様、大丈夫だよ」
そう言って微笑んできたのだ。
今まではこんなことはなかった。
他人に微笑む余裕なんて全くないほどシャルルは弱っていたはずだ。
追い込まれていたソフィアにはその出来事は希望の光が見えた、そんな気持ちにさせた。
それから毎日シャルルのもとへ通い祈りを込めた。
その祈りが通じたのかシャルルは少しずつ元気になっていき、5歳になる頃には日常生活が問題なく送れる程になった。
もしかしたら魔法が使えない私でも祈りという治癒をもたらせたのかもしれない、そう歓喜し不安が軽減した一方、次にはやってきたのは途方もない罪悪感であった。
私は家族に責任や義務を無理やり押し付けようとしたのだ。
祈りの効果があったかどうかは分からない。
しかしやろうとしていたことには変わりないのだ。
シャルルが元気になればなるほど逆にソフィアは落ち込むようになった。
そんな私の落ち込みにシャルルは気付き、優しく私を抱きしめてきた。
姉に甘える無邪気な弟というにはあまりに愛情深く、不安を少しずつ解していくようなそんな抱擁だった。
私はこのとき生まれて初めて肉親の愛情というものを知った。
もちろん3歳までは親に育てられ全く親の愛情がなかったわけではないが、物心がつく頃には親の手から離れてしまっていた。
不安なとき、父親や母親はそばにいてはくれなかった。
本当は王族の義務など放棄して、もっと甘えて、駄々をこね、一緒に遊ぶ普通の親子になりたかった。
要は愛に飢えていたのだ。
そしてそれを満たしてくれたのは6つも年下の弟だった。
そんな親愛を求めるべく私はシャルルのもとに通い、シャルルはいつも私を慰めてくれた。
冷静に考えるとおかしな話である。
病弱で年下のまだ10歳にもなっていない少年に私は甘えているのだ。
しかし私は確信した。
弟シャルルこそが王になるべきだと。
シャルルには王としての素質がある。
人々を愛で満たしてくれる、そんな慈愛の王としての素質が。
そして私の使命はシャルルが王になるために、いや、王になってからも支えていくことなのだ。
でも今はあまりできることはない。
私にはまだ何も力がないから。
だからせめて愛を返そう。
過去の自らの愚かな行いも含め、できるかぎりで償おう。
親愛なるシャルルのために。
こうして幼いながらに王女として成長しつつあることに本人は気づいておらず、その行動が妹のエレナにも影響を与えていたことにも気づいていなかった。
その理由は弟シャルルに注意が向きすぎて、視野が狭くなっていたことに疑いようはなかった。
周りからは弟思いの王女様と思われていたが、それ以上の感情が芽生えつつあることは、まだ誰も知らない。